筑前の事件趣味。

自分の気分で投稿します。

史上最悪の通り魔事件【加藤智大】

2008年6月8日、東京都千代田区外神田4丁目(秋葉原)の神田明神通りと中央通りが交わる交差点。この日は日曜日という事もあり、中央通りは''歩行者天国''となっており、買い物客や観光客で賑わっていた。

そして、同時にこの日は2001年6月8日に起きた大量無差別殺人事件「附属池田小事件」から7年が経った日でもあったのだ。二度と同じような事は繰り返してはならない。しかし、この''池田小事件''から丸7年が経った日、またもや大惨事は繰り返されたのだ。

 

加藤智大

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後に「秋葉原通り魔事件」を起こす事となる加藤智大は1982年9月28日に青森県五所川原市で誕生した。加藤の母親は近所で''教育熱心''な母親として有名だったようで、加藤はこの母親に厳しく育てられた。しかし母親の教育は異常と言える程に厳しかった。加藤が家で見られるテレビは「ドラえもん」と「日本昔ばなし」のみだ。そして加藤は自宅に友達を呼ぶこと、友達の家に行くことさえ禁じられていたのだ。加藤家の食卓は会話が無く、加藤以外の3人は黙々と食べるだけだった。加藤は食べるのが遅く、食べきれなかったものを新聞のチラシにぶちまけられて食べさせられた。そして加藤が小学生になると加藤はそろばんやスイミングスクールや学習塾に通わされ、加藤が書いた作文や絵画は母親の''検問''が入った。形式上は''彼が書いたもの''となっているが、作文に母親が手を入れたり母親がほとんどやったりしていた。代表的なエピソードとしてこんな話がある。加藤は小学生の頃、彼はお風呂で九九を母親に教えてもらっていた。そして母親は彼に対して「湯船に浸かっている間に暗唱しなさい」と言った。そして加藤が少しでも九九を間違えてしまうと母親は彼の頭を押さえつけて風呂に沈めた。そして母親は笑っていたという。そこで加藤は耐え切れずに泣いてしまった。泣く加藤を見た母親は彼の口にタオルを詰め込み、その上からガムテープを貼ったのだ。そして加藤の家には「スタンプ」システムがあり、加藤が泣く度にスタンプがカードに押されていき、それが10個溜まると屋根裏部屋に加藤は閉じ込められた。

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自由

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小学校卒業後、中学時代の加藤は成績優秀でスポーツ万能だった。詩や作文が高く評価されたようであるが、上記に述べたように実際は母親が手を加えたものである。

これは加藤が中学生の頃の話だと思われるが、加藤にはちょっと可愛い感じのガールフレンドが居た。しかし、ここでも母親は加藤を妨げてくるのだ。母親は彼に対して「交際を辞めろ」と言ってきた。加藤は泣く泣く交際を辞めたのだ。

そして彼は進路も母親に決められたのだ。中学卒業後は自分の志望を変更して母親の母校である県内の進学校である青森高校に進学した。しかし優秀な生徒が多い周りについていく事が出来ず、彼は成績が落ちていき、この頃から母親に暴力を振るったり、部屋の壁に穴を空け、教室の窓ガラスを素手で割ったりするようになる。

高校入学当時の加藤の志望は北海道大学工学部だったものの、3年生の頃になると「車が好き」という理由で岐阜の自動車短大への進学を希望するようになり、青森高校を卒業すると、岐阜の自動車短大へ進学した。しかしここでも自動車整備士の資格は取れなかった。

異常性、ネット

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そしてその短大も卒業した後、加藤は母親から資金提供を受けて仙台にアパートを借りて一人暮らしを始めた。そしてその数ヶ月後に仙台市の警備会社に就職した。しかし、ここで彼の''兆候''が見られていた。この会社で加藤は責任者のポジションになったが、嫌いな者に対して仕事を与えなかった。さらにこんな話がある。現場で大きなミスをした高齢の警備員がいたのだが、その警備員に腹を立てて柔道のように足を払って全体重をかけて道路に叩きつけた。その警備員はたまたま武道の心得があった為に受け身が取れたものの、下手したら死んでいた可能性があったという。しかし、その後に加藤は「職場の人間関係に対する抗議として」無断欠勤を繰り返し、警備会社を退職した。その後、加藤は埼玉県の自動車工場に派遣された。住居は工場の独身寮だったが、加藤は友人を作れなかった。そして2005年頃からインターネット掲示板にのめり込んでいくようになった。その後、再び「抗議」として無断欠勤し派遣会社を退職した。さらに加藤は青森や仙台時代の友人宛に自殺を仄めかすようなメールを送り、友人らは加藤に対して踏みとどまるよう返信をした。そして加藤は3年ぶりに両親宅に帰宅し、母親は子供時代の教育姿勢を謝罪したのだ。その後は輸送車の運転手になったものの、またもや「抗議」として無断欠勤し、運送会社を退職。そしてまたもやインターネット掲示板の投稿者宛に自殺を仄めかすようなメールを送信した。そして静岡県の自動車工場に派遣。この職場では友人が出来ていたようだが、インターネット掲示板にさらに深入りするようになった。

インターネット掲示板での加藤は「不細工なせいで孤独な男」という人物を演じたところ、他のスレ民の反応が良かったために「不細工スレの主」として自虐的な書き込みを続けるようになる。

''なりすまし''

2008年5月〜6月、加藤はいつも通り掲示板を見ていた。しかし、掲示板を自分のなりすましに荒らされ、そのなりすましが立ち去ると加藤は孤独を感じた。実生活で仕事や友人も失い、加藤にとっての社会との接点はネットしかなかったのだ。そして加藤は「荒らしへの心理的攻撃」として通り魔事件を起こすことを決意したのだ。

6月5日、加藤は静岡の自動車工場に出勤したが、始業直前の午前6時頃、作業着のつなぎがロッカーに無いと騒ぎ立て、そのままハンガーを大量に撒き散らして大声で叫んだ後に無断で退社。そして結局加藤が無いと騒いでいた作業着は見つかり、工場側は加藤に連絡を入れたが、加藤はそのまま欠勤した。

事件前々日・前日

加藤はインターネット掲示板に通り魔事件を起こすことを仄めかす書き込みを行っていた。それによると事件の前々日である6月6日にナイフを5本購入。事件の前日である6月7日にレンタカーを借りた。そして事件当日である6月8日を迎えることになる。

事件当日

2008年6月8日、加藤は掲示板にスレッドを立てて「実況中継」をした。

午前5時21分車でつっこんで車が使えなくなったらナイフを使います
みんなさようなら

44分途中で捕まるのが一番しょぼいパターンかな

6時0分俺が騙されてるんじゃない 俺が騙してるのか

2分いい人を演じるのには慣れてる みんな簡単に騙される

3分大人には評判の良い子だった
大人には友達は、できないよね

4分ほんの数人、こんな俺に長いことつきあってくれてた奴らがいる

5分全員一斉送信でメールをくれる そのメンバーの中にまだ入っていることが、少し嬉しかった

10分使う予定の道路が封鎖中とか やっぱり、全てが俺の邪魔をする

31分時間だ 出かけよう

39分頭痛との闘いになりそうだ

7時12分一本早い電車に乗れてしまった

30分これは酷い雨 全部完璧に準備したのに

47分まあいいや 規模が小さくても、雨天決行

41分晴れればいいな

10時53分酷い渋滞 時間までに着くかしら

11時17分こっちは晴れてるね

45分秋葉原ついた 今日は歩行者天国の日だよね?

午後0時10分時間です

事件発生

午後12時30分過ぎ、加藤は西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視し、トラックを突入させ、歩行者5人を撥ねた。このトラックは対向車線のタクシーに接触して停車。周囲に居た人々はまさか通り魔事件だとは思わず、トラックに撥ねられた被害者の救護をしていた。しかし、加藤はトラックから降り、ダガーナイフを手に持って救護活動をしていた通行人や警察官ら17人を次々に刺していった。そして事故の衝撃音で現場近くの交番である万世橋警察署秋葉原交番の警察官が現場に駆け付け、加藤を追跡。しかし加藤は警察官の防護服を切り付けられ、危うく殺しかけた。そして警察官は警棒を使って加藤と応戦し、警察官は加藤を路地裏に追い込んだ。路地裏で警察官は加藤を警棒で威嚇しながら、加藤に銃口を向けて「撃つぞ」と警告した。そうすると加藤は崩れ落ち、そのまま加藤は警官らに取り押さえられた。加藤の起こした無差別殺人は最終的に死者7名、重軽傷者9名という大惨事となった。わずか2分間余りの出来事だった。

この日は最初に言った通り、加藤が意識していたのか偶然なのかは不明だが、本事件から7年前に起きた「附属池田小事件」が発生した日付と本事件が起きた日付は同じだった。

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裁判

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2010年1月28日、被告人加藤智大の初公判が開かれた。加藤はまず亡くなった被害者や怪我人や遺族に謝罪した。そして検察側は事件の動機について「唯一の居場所だった携帯電話サイトの掲示板が荒らされて書き込みがほとんどなくなり、自分の悩みや苦しみが無視されたと怒りを深め、派遣先工場からも必要とされていないと思い込み、自分の存在を認めさせ復讐したいと考えた」と説明した。

2011年1月25日、検察側は加藤に対して「犯罪史上まれにみる凶悪事件で人間性のかけらもない悪魔の所業」と死刑を求刑した。

2011年3月24日、地方裁判所で被告人加藤に対して死刑判決が下された。裁判長は「母親の不適切な養育による人格の歪みが犯行の遠因」と認定した。

2015年2月2日、最高裁判所が被告人加藤の上告を棄却。

2015年2月17日、最高裁判所が弁護側の上告審判決への訂正申立を棄却し、加藤の死刑が確定した。

そして2022年7月26日、加藤の死刑が執行された。39歳という若さだった。

感想

史上最悪の通り魔事件を起こした凶悪犯・加藤智大

この死者7人という犠牲者の数は当時は附属池田小事件を除くと無差別殺人で最多の犠牲者だった。

世間では加藤は可哀想、母親が悪いと言われる事がある。しかし、本当にそうだろうか?

確かに判決でも母親の教育で人格が歪んだと認められているし、母親が加藤にしてきた事はあまりに常軌を逸しているし、まるで息子の加藤の事を自分の駒のようにしか思っていないのでは?と疑ってしまう。

しかし、加藤本人は自分が上手くいかなかった事を母親、会社、社会に責任転嫁しているように思える。加藤は生前、こんなラップを書いていた。

〈親は力で支配しがち/屈辱に耐える毎日〉と韻を踏みながら母親に極端な躾を受けた末に疎まれた半生を振り返り、そうした来歴が犯行に駆り立てたことを示唆しつつ〈原因不明皆もやもや〉と犯行の真の動機は伏せ、〈絞首刑かかって来いや/首に食い込む錆びたワイヤー/迎えられないニューイヤー〉

これを見ると明らかに事件を起こしたのは自分が悪いのに母親に全て責任転嫁しているように思える。ましてや反省も何もないように見える。

そして、自分が気になったのはこんな事でここまでの大事件を起こすのか?ということ。

一応、加藤の動機をまとめたら「自分の拠り所だったインターネット掲示板をなりすましに荒らされ、さらに荒らしのせいで人が居なくなり、それで荒らしに心理的攻撃を与えようと考えた」という動機になると思うが、あまりにくだらなすぎる。

こんな事だけでこんな大事件を起こすはずがないと思うので、おそらくは母親からの虐待、人間関係での孤独も関係しているのだろう。そのような事情が重なりに重なった結果、沸騰したかのように爆発した____そういう事だと私は思う。

また、彼の「孤独」の価値観は普通の人とは違うように思える。彼は友達や友人が居なくて孤独だった訳では無い。実際、青森や仙台には趣味が合う友人が何人か居たようであり、職場では積極的に友人付き合いをしていたようであり、またインターネット掲示板を通しても自らオフ会を提案したり、全国を旅行するなど他人から見れば充実しているかのように見える。

しかし、本人的には「孤独」と感じていたのだろう。加藤は2回も友人に自殺を仄めかしている。そこから見るに彼はかなりのかまってちゃんに思える。おそらく彼は友人と少しの間でも連絡が取れなかったりすると「嫌われた」と思っていたのでは無いのか?と思う。

だから、自殺を仄めかして自殺を泊めてくれるか友人を「試している」

個人的には友人に何か敢えて心配させるような事を言って、心配してくれるかというのを「試す」人は自分に自信が無い、または他人を信用出来ない。そう思える。

もしそうなら何故そうなってしまったのか。その答えは簡単で母親からの仕打ちが原因だろう。母親の''教育''はもはや彼自身の人格否定のような物だ。加藤の自由なんて全くない。加藤は母親が支配していると言える。そして人格否定とも言えるような虐待を繰り返された結果、加藤が自分に自信が無くなった、または他人が信用できなくなった。個人的にはそう考える。

 

最後に(加藤執行時の記事を書けてなかったのでここで代弁します)

 

あの加藤智大が2022年7月26日に死刑執行された。

逆に今まで彼が生きていた事が奇跡のように思える。本来なら確定後2年、3年で執行されてもおかしくはなかったし、そもそも加藤が既に執行されてると思ってた人も居たみたい。

自分は前からこんな事を言っていたし思っていた。

「造田博、加藤智大、植松聖、白石隆浩、青葉真司という大量殺人犯がまだこの世にいるのが奇跡だから今のうちに見納めをしておけ」

そしてついにその加藤が死んだのだ。もうこの世にいない。今まで当たり前のように死刑を免れ、生きていた死刑囚が執行されたのは不思議な気持ちだ。

あの有名な宮崎勤も加藤の見せしめとして執行されたとされている。そしてその加藤もついに執行された。

さようなら加藤。幼少期から母親に何でも禁止され、何でも決められ、本当に人生で楽しいと思った瞬間があったのか?と思う。

そして加藤、地獄へ落ちろ。お前の''荒らし''しに対する心理的攻撃というだけで何の落ち度もない7人を殺した罪、そしてお前のせいで弟が自殺に追い込まれた罪は最大級に重いし絶対に許されない。

相次ぐ「死刑願望」全ての元凶【宅間守】

どうもこんばんは。筑前です。

今回から日本のシリアルキラー(連続殺人犯)、マスマーダー(大量殺人犯)、その他有名事件を紹介するという企画を始めたいと思います。

この企画はその事件自体を紹介するのではなく、事件を起こした犯人の生い立ちや人となりを紹介し、どうしてこんな事になってしまったのか、どうしてこんな事を起こしたのかというのを考察していこうという発想のもと始めようと思いました。(なお基本的に情報源はWikipediaとかのしょうもない情報源になってしまうと思いますので情報の真偽性については保証できません)

その第1弾として選んだ殺人犯は、宅間守です。

 

生い立ち

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宅間守兵庫県伊丹市で1963年11月23日に生まれた。宅間の母親は宅間を妊娠した時から何故か毛嫌いしていたと言われており、彼が産まれてからも母乳をあげることすら嫌がったという噂がある、元々宅間の母親は家事が苦手だったようで、所謂''ネグレクト''を宅間に行っていた。さらに宅間の父親も彼に対して何かある事に激しい暴力を振るっていたようであり、木刀が折れる程だったと言われている。

暴力

宅間は母親からの愛情を飢えていたせいなのか、幼少期からあまりに異常な行動を繰り返す。3歳の時に宅間は三輪車で国道の中央を走らせ渋滞を起こし、電車に石を投げたりなどの問題行動を繰り返した。さらに宅間のストレス発散の矛先は自分より弱い児童や弱い動物へ向くようになった。小学校時代、宅間は上級生に虐められていたが、逆に自分より弱い同級生をいじめるようになり、さらに猫を燃やしたドラム缶の中に生きたまま入れるなどの動物虐待を繰り返し行うようになった。ちなみに幼少期に動物虐待を行うのは将来的に殺人犯になる可能性があると言われている。

宅間は中学生になっても弱い者いじめや動物虐待を辞めず、さらに母親にも手を出すようになった。

犯罪を繰り返す

中学卒業後、宅間は兵庫県尼崎市の工業高校へ進学するが、2年で中退。その後の数ヶ月間はガソリンスタンドでアルバイトをしていたが、1981年末に小学生の頃から憧れを抱いていた航空自衛隊に入隊した。しかし1983年1月、家出した少女を下宿させて性行為に及んだ事が原因で宅間は除隊処分を受けてしまう。そして除隊が彼にとってのターニングポイントになったのか、宅間は幾度もなく犯罪を繰り返すようになっていく。

その後の宅間はマンション管理会社やバス運転手などの職を転々とするも、いずれも長続きしなかった。

宅間がマンション管理会社で働いていた時には業務中にマンションに住む女性宅に上がり込んで女性を強姦した。他にも車のライトが眩しいと言いがかりを付けて相手の車を破壊したり、小学校に勤務していた時には小学校教論のお茶に精神安定剤を混入したりなどの問題行動を幾度も繰り返し、その度に逮捕されており、最終的には宅間の逮捕歴は15回にも上った。しかし、すべて不起訴になっていた。何故かと言うと宅間は逮捕される度精神病を装った。そうする事で宅間は刑罰を免れていたのだ。

結婚・離婚を繰り返す

宅間は何度も結婚と離婚を繰り返した。

1回目の結婚は宅間が結婚前に「兵庫医大の医師」と詐称した事が発覚したためにたったの3ヶ月で離婚。しかし宅間はへこたれずに離婚から1ヶ月も経たないうちに2回目の結婚を果たした。この妻とは結婚生活が4年続いたものの、強姦で逮捕された事がきっかけで離婚。その離婚から数年後に宅間は3回目の結婚。宅間はこの妻にはしつこく執着しているようであり、裁判中もこの妻の事を指すような発言をしていた。結局はこの妻とも結婚から1年3ヶ月後に離婚するものの、宅間はその後もストーカー行為を繰り返した。そしてこの離婚から4ヶ月後に宅間は4回目の結婚。しかし、結婚した1年後には上記の精神安定剤混入事件を引き起こし、離婚した。

事件前日

2001年6月7日、宅間は自宅マンションで過去の回想をしていた。

「何をやっても裏目に出る」

復縁しようとしてもどんどん離れていく3人目の妻にすべての責任を押し付け、3人目の妻を逆恨みしていた。さらに宅間は消費者金融からの借金が300万円以上もあり、絶望感に駆られた。

宅間はこんな状況になっても自殺を出来ない自分に対して苛立ちを覚えていたが、同時に「大量に人を殺せば元妻は後悔するだろう」という悪魔の発想が宅間の頭に思い浮かんでいった。

宅間は最初に大阪市内の繁華街へダンプカーで突っ込む事を思い付いたが、小学生を襲う方が簡単だと考え、小さい頃に憧れていたと同時に嫉妬していた大阪府池田市のエリート校「大阪教育大学附属池田小学校」を標的として定めたのである。

事件発生

2001年6月8日、宅間は附属池田小の東門前に車を停めると、約100m離れた南校舎へ向かい、午前10時10分過ぎ、1階にある2年生の3教室に次々と侵入し、犯行に及んだ。この時、2年南組担任の教論が宅間を別教室の担任2人が追いかけている姿を目撃している。2年南組担任がテラスに出ていた児童に逃げるよう指示すると、宅間は一瞬児童を追いかける素振りを見せたものの、方向を変えて1年南組教室へ侵入した。午前10時20分、1年南組の児童らはちょうど授業を終えて教室に戻っていたところであり、一足早く教室に戻っていた男児が宅間の餌食となってしまった。さらに宅間は他の児童にも次々と切り付け、駆け付けた副校長と2年南組担任と格闘になり、2年南組担任は宅間に顔を切られた。宅間は手を押えられると一気に大人しくなり、二人に宅間は取り押さえられた。

最終的に死者は児童8人、児童13人と教論2人が重軽傷を負う当時最悪級の大惨事となった。僅か15分の悪夢だった。

宅間は取り調べで「エリートでインテリの子をたくさん殺せば、死刑になると思った」と語った。そして宅間は今まで通りに精神病のフリを行った。しかし、精神鑑定では責任能力を減免させるような精神障害はないという鑑定結果が出された。

裁判・その後

極悪非道の限りを起こした宅間、しかし、宅間は裁判でも全く反省する事は無かったのである。

宅間は口笛を吹きながら入廷し、最終意見陳述で宅間はこう語った。

「えー、発言してもよろしいか?・・・なら話すわ。まあ、まだ判決はでとらんのやけども、もうすぐ出るし、わかっとる事やから、最初に言うとく。 どうも死刑にしてくれてありがとう!、裁判長さん。 感謝するわ!わし、もうはよう、死にたい思うてたから、ほんま助かる。やっと死ねるんやなーと思うとほっとしたわ」

そしてその後、宅間は「殺した子供達に言いたいことはまだある」と発言し、その後、宅間は

「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に、生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。 あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!! でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」と暴言を吐き、さらに「世の中の不条理をあのクソガキに分からせてやった」「クソガキに一撃を与えた」「人生の幕引きの道連れにガキが死んだだけ」「ワシ、うまいもん食べれるだろうか」等と宅間が発言した事により傍聴席から「1人で死ね」と言う怒号が飛び交う異常事態になり、もちろん宅間は退廷させられたが、なおも宅間は叫び続けていた。

2003年8月28日、被告人の宅間に対して死刑判決が言い渡された。通常、主文である死刑判決の言い渡しは後回しにされる事が多いが、そもそも判決が言い渡される前に宅間が退廷させられていたために主文を後回しせずに死刑判決を言い渡されるという異例の事態が起きた。そして宅間の弁護側は9月10日に控訴するも、宅間自らが控訴を取り下げて死刑が確定した。宅間は接見した弁護士に対して「控訴しても結果は同じや」などと述べていた。

死刑確定後、宅間は2003年12月に支援者の女性と獄中結婚した。そして2004年9月14日に宅間の死刑が執行された。40歳という若さだった。

(宅間の死刑執行時の最後の言葉は「妻にありがとうと伝えてください」と言われているが、実際は最後まで妻の悪口を言っていたらしい)

 

感想・考察

当時、日本で類例を見ないレベルの大量無差別殺人を引き起こした最悪級の殺人犯・宅間守

事件を起こしたのは本人の問題だが、宅間がここまで凶暴な性格になったのは母親からのネグレクトや父親からの暴力が少なからず影響しているとしか思えないし、生い立ちに''関しては''同情する。

実際、宅間は両親を相当憎んでいると思われ、裁判でも父親への憎悪を口にしており「あのクソ親」「親父を殺しておけばもっと違う人生があったかもしれん」と吐き捨てています。その宅間の父親は事件から約19年が経った2020年に亡くなったようです。

そして、彼の主な動機は「3人目の妻に自分と出会った事を後悔させる」という動機がメインだったと思われますが、宅間の動機はもう1つあります。それは「死刑になりたかった」というものです。

宅間は実際、取り調べで「エリートの子供を殺せば死刑になれると思った」と話しており、裁判でも「俺が死ねるんだから」といった発言をしている為に死刑願望があったと言われても何ら不思議ではないです。それに事件当時の彼は元妻にも見捨てられ、借金が300万以上あるという状態に陥っていたので自暴自棄になり「人をたくさん殺して死刑になって国の手で殺させよう」という発想が思い付いたのでしょう。

さらに宅間の影響からなのか、この事件の後も「死刑になりたい」という動機から引き起こされる無差別殺人が度々発生しています。その代表例は2008年に起きた「土浦連続殺傷事件」でしょう。当時20代だった金川真大という男が自暴自棄に陥り、無差別に人を殺して死刑になろうと考え、土浦の住宅街でインターホンを押して出てきた高齢男性を殺害、さらに荒川沖駅で通行人を殺傷するなどして死刑が確定・執行されました。さらに今年に入ってからも7月7日に仙台で女子中学生2人が面識の無い男に切り付けられて1人が重傷を負い、 7月17日に商業施設で男子中学生が面識の無い女に切り付けられて軽傷を負い、さらに8月20日には渋谷で15歳の女子中学生が面識のない母娘を切り付けて重傷を負わせるなど所謂''通り魔''事件が相次いで起きています。これら3件の共通点は犯人が「死刑になりたかった」と供述しているところです。なので、今回は最近よく見られる「死刑になりたかった」という死刑願望によって引き起こされる無差別事件の原点とも言える附属池田小事件の宅間守を紹介した訳です。彼は8人の何の落ち度も無い子供たちを殺した事にも最大級の責任がありますが、このような模倣犯を結果的に後世に何人も生み出したのも最大級の責任があるのではないのでしょうか。何か感想があればコメント欄にお願いします。

高槻資産家保険金殺人事件 拘留中の松田凛容疑者が自殺

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どうもこんにちは、筑前です。めちゃくちゃお久しぶりです。モチベーションが無さすぎて数ヶ月もの間記事を書けてませんでしたが、今日から不定期になるとは思いますが、ゆっくり更新を再開していきますのでよろしくお願いします。

今回取り上げるのは、2021年に高槻市で資産家の女性が浴槽で殺害された事件で逮捕された女性の養子である高井(旧姓:松田)凛が2022年9月1日、拘留されていた警察署内で自殺したという話です。(ちなみに高井は被害者の苗字なので被害者の苗字で呼ぶのもなんか、と思うので松田容疑者と呼びます)

松田容疑者は今年7月に養子縁組の際に配偶者がいる場合は配偶者にサインを書いてもらわないといけませんでしたが、配偶者に成りすましてサインを書いた有印私文書偽造の罪で逮捕され、さらに今年8月に殺人容疑で再逮捕という訳です。松田容疑者は事件に関しては黙秘していたようですが、雑談には応じたようで「逃走する」等と仄めかしていたようです。その為に警察署は松田容疑者を警戒し、本来は4回の定期巡回を5回に増やしたようです。しかし、松田容疑者は6時には布団に入っている姿が目撃されていたようですが、7時には首を吊っていたのが発見されたようです。「どこから紐、ロープを持ってきたんだ」とか言われていますが、実際は自分のTシャツを破って首を吊ったようです。そして7時30分頃に緊急搬送されたようで、懸命な治療を受けたものの、22時41分頃に死亡が確認されたようです。

 

松田容疑者は元々保険会社に勤めており、そこで営業マンをしていたようです。で、松田容疑者はそこの保険などを被害者にかけたという訳です。

松田容疑者はタワマンにかつては住んでおり、ランボルギーニを乗り回し、金髪美女を連れ回していたと報じられています。さらに保険会社に居た際はかなりの売り上げを誇っていたようです(しかし顧客とトラブルが多かったらしく、退職)

そんな松田容疑者が養子縁組していた女性を保険金にかけて殺害し、挙句の果てには自殺するという結末はあまりに酷いもので、松田容疑者がやった事は全く擁護不可能な事にしても、凄く哀れに感じます。

愛知県知立市殺人死体遺棄事件⑤ 〜事件から1ヶ月近く経ち、ついに犯人逮捕〜

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どうもこんにちは、筑前です。5月11日に愛知県知立市の側溝で男性の遺体が発見された事件で、ついに犯人が逮捕されたようです。

 

5月に愛知県知立市で、道路の側溝から男性の遺体が見つかった事件で、警察は9日、強盗殺人の疑いで、26歳の男を逮捕しました。 愛知県警は、9日午後3時半から、安城警察署で記者会見を開き、容疑者の逮捕を発表しました。

 この事件は5月11日、知立市八橋町で、車が道路脇の側溝に脱輪し、同じ側溝から、複数の刺し傷などがある愛知県岡崎市の無職、三浦正裕さん(当時29歳)が遺体でみつかったものです。

 強盗殺人の疑いで逮捕されたのは、愛知県知立市の有馬滉希容疑者(26)です。

 警察の調べによりますと、有馬容疑者は5月、知立市の路上に駐車した車の中またはその付近で、三浦さんを刃物のようなもので複数回刺して殺害した上、現金約14万2千円を奪った疑いがもたれています。

 警察によりますと、有馬容疑者は三浦さんに対して債務があり、殺害したことを認める一方、「金を奪うつもりはありませんでした」などと容疑を一部否認しています。

 

事件当時の報道では「遺体が毛布で包まれていた」「遺体の上に草花や鉄製の蓋が被せられていた」などという情報があり、さらに車内には血が拭き取られた跡もあったようなので、事件後にかなり悪質な隠蔽工作を行ったと思われます。さらに有馬容疑者の容疑は被害者を殺害後に現金14万円を奪ったという強盗殺人罪であり、そしてしばらく経つと死体遺棄の罪でも再逮捕されるかと思います。この事件は強盗殺人死体遺棄事件であり、さらには殺害後に発覚を遅らせるための隠蔽工作も行っているために強盗殺人事件の中でもかなり悪質な方と言えるでしょう。有馬容疑者は「金を奪うつもりはありませんでした」と供述しているようですが、強盗殺人の刑罰は死刑か無期懲役という重い罪なので強盗目的を否認して、殺人罪と窃盗罪を適用してくれという意味合いだと思いますが、おそらく強盗目的が認められ、無期懲役は免れられないでしょう。

掛川市放火殺人事件② 〜犯人は名前を伏せられる〜

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どうもこんにちは、筑前です。メディアはどれだけ被害者を冒涜するつもりなのでしょうか?前に取り上げた吉川市の団地で女性が殺害された事件は自殺した知人の男が書類送検されましたが、何故か犯人の名前は伏せられて被害者の名前は出されるという、あまりに理不尽な事を行っていたんですが、かなり初期に取り上げた掛川市の放火殺人で被害者の小学校の同級生の男が被疑者死亡の為に書類送検された模様ですが、またもやメディアはその行為を行いました。

 

2022年4月、静岡県掛川市のアパートで31歳の男性が殺害された放火殺人事件で、警察は岐阜県内で遺体で見つかった被害者の小学校の同級生を殺人と放火の疑いで、容疑者死亡のまま書類送検しました。

殺人と現住建造物等放火の疑いで書類送検されたのは、静岡県掛川市葛川の無職の男(31)です。

警察によりますと、容疑者の男は4月、掛川市下西郷のアパートに住む男性会社員(31)の部屋に火をつけて、会社員を殺害した疑いがもたれています。

事件直後にアパートから走り去った車が、岐阜県揖斐川町の林道で見つかり、車内には殺害された会社員の小学校時代の同級生である容疑者の男の遺体が発見されました。

容疑者の男の死因は一酸化炭素中毒で自殺とみられ、体にはやけどの跡があったということです。

会社員の部屋には石油系の液体燃料がまかれていて、その後の捜査の結果、容疑者の男が会社員の男性を殺害した容疑が強まり、警察は9日、静岡地検浜松支部に容疑者死亡のまま、書類送検しました。

容疑者の男が犯行に至った動機などは分かっていないということです。

 

この事件を最初に紹介した時は事件直後に走り去った車が岐阜県の林道で発見され、車内から容疑者の男の遺体が発見されたという記事を取り上げましたが、この男の死因は一酸化炭素中毒で自殺のようで、体には火傷の跡があったようです。そしてこの事件で今回1番非難する事は何故かこの容疑者の実名が伏せられていることです。この容疑者の男は犯行当時31歳であり、少年法とも何も関係ない訳です。しかし、なのにこの件に触れているメディアの全ての記事において名前が伏せられており、本当に意味が分からないです。さらに今年2月に四日市市で男女が殺傷された事件では容疑者の男が自殺し、書類送検されましたが、こちらの事件の場合は容疑者が死んでいても実名を出されていたのに本当に何故でしょうか?

「容疑者の男が書類送検された」という記事では被害者の名前が伏せられていたので被害者の名前が出されてないだけいいとは思うんですが、前に取り上げた吉川市の事件は被害者の名前が出されて容疑者の名前が伏せられるという被害者への冒涜としか思えないような事をしていたので、本当に遺憾でしかないです。普通に犯人の実名を何故か伏せているメディア、新聞社を許さないでしょう。

 

〜追記〜

テレビ静岡様の記事には書類送検された男の実名が載せられていたので引用します。

 

静岡県掛川市で31歳の男性が殺害された放火殺人事件で、捜査本部は事件後に遺体で見つかった同級生の男を書類送検しました。

殺人と現住建造物等放火の疑いで書類送検されたのは掛川市葛川の無職・土井健太郎容疑者(当時31歳)で、今年4月掛川市下西郷の会社員・峰翼さん(当時31歳)の部屋に放火し、峰さんを焼死させた疑いです。

土井容疑者は峰さんの小学校時代の同級生で、犯行時間帯に目撃され事件4日後に岐阜県内の山中で発見された不審な車の中から遺体で見つかりました。自殺とみられています。

捜査本部によりますと2人にトラブルは確認されていませんが、車の所有者で犯行時のものとみられるヤケドがあったことなどから土井容疑者の犯行と断定し、容疑者死亡のまま9日書類送検しました。

 

当たり前の事なのですが、実名を報道したテレビ静岡様は素晴らしいメディアだと思います。

千葉・富里市2人殺害事件② 〜搬送されていた重傷のフィリピン人技能実習生を逮捕〜

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どうもこんにちは、筑前です。5月26日に千葉県富里市のアパートにて男性2人の遺体が発見された事件で、現場近くに倒れているのを発見され、病院に搬送されていた重傷のフィリピン籍技能実習生が逮捕されたようです。

 

富里市七栄の2階建てアパートでカンボジア国籍の男性2人の遺体が見つかった事件で、県警は7日、このうち1人を殺害したとして、殺人容疑で同アパートに住むフィリピン国籍の男で技能実習生、ブーラン・ローエル・ブーラン容疑者(30)を逮捕した。容疑者は事件後、アパートから約70メートル離れた路上で倒れ、搬送先の病院で治療を受けていた。成田署特別捜査班は、詳しい経緯や動機を調べている。

 逮捕容疑は5月26日未明、自宅アパート内で、同居するカンボジア国籍の技能実習生、モン・サメットさん(25)の体を刃物のようなもので複数回突き刺すなどして殺害した疑い。容疑を認めている。

 同アパートではモンさんのほか、同居するカンボジア国籍の技能実習生、チャット・チットさん(20)の遺体も見つかっており、特捜班は容疑者が関与したとみて殺人容疑で再逮捕する方針。

 特捜班によると、3人は県内の同じ実習先で働き、実習先が用意したアパート一室で同居していた。被害者2人は3月から住み始め、容疑者は5月17日から同居するようになったという。

 容疑者は5月26日午前2時45分ごろ、同アパートから約70メートル離れた路上で、上半身裸で血を流して倒れている状態で見つかった。病院に搬送されたが重傷で、特捜班は回復を待って逮捕した。アパートの居室からは凶器とみられる刃物が見つかっていた。特捜班は3人のトラブルの有無などを調べる。

 司法解剖の結果、死因はモンさんが心臓損傷、チャットさんが外傷性ショックだった。

 

富里市七栄の2階建てアパートでカンボジア国籍の男性2人の遺体が見つかった事件で、県警は7日、このうち1人を殺害したとして、殺人容疑で同アパートに住むフィリピン国籍の男で技能実習生、ブーラン・ローエル・ブーラン容疑者(30)を逮捕した。容疑者は事件後、アパートから約70メートル離れた路上で倒れ、搬送先の病院で治療を受けていた。成田署特別捜査班は、詳しい経緯や動機を調べている。

 逮捕容疑は5月26日未明、自宅アパート内で、同居するカンボジア国籍の技能実習生、モン・サメットさん(25)の体を刃物のようなもので複数回突き刺すなどして殺害した疑い。容疑を認めている。

 同アパートではモンさんのほか、同居するカンボジア国籍の技能実習生、チャット・チットさん(20)の遺体も見つかっており、特捜班は容疑者が関与したとみて殺人容疑で再逮捕する方針。

 特捜班によると、3人は県内の同じ実習先で働き、実習先が用意したアパート一室で同居していた。被害者2人は3月から住み始め、容疑者は5月17日から同居するようになったという。

 容疑者は5月26日午前2時45分ごろ、同アパートから約70メートル離れた路上で、上半身裸で血を流して倒れている状態で見つかった。病院に搬送されたが重傷で、特捜班は回復を待って逮捕した。アパートの居室からは凶器とみられる刃物が見つかっていた。特捜班は3人のトラブルの有無などを調べる。

 司法解剖の結果、死因はモンさんが心臓損傷、チャットさんが外傷性ショックだった。

 

ブーラン容疑者は重傷を負っており、前に取り上げた時はブーラン容疑者の回復を待って事情を聞く方針だったようですが、今回逮捕できたということは、ある程度様態が回復したのでしょう。今回はカンボジア国籍のモンさんへの殺人容疑で逮捕されましたが、同じアパートにカンボジア国籍の技能実習生のチャットさんの遺体もあったようなので、暫くしたらチャットさんへの殺人容疑でも再逮捕されることになるでしょう。ブーラン容疑者を含めた3人は県内の同じ実習先で働き、被害者の2人は実習先が用意したアパートの一室に住み始め、ブーラン容疑者は5月17日から同居するようになったという事です。現時点で3人のトラブルの有無は不明ですが、ブーラン容疑者が同居するようになった5月17日から僅か9日で事件が起きているのが気になります。憶測は良くないですがブーラン容疑者と被害者2人の間で何かしらのトラブルがあった事は確実かと思います。前に取り上げた時にも言いましたが、この事件は殺害された人数が2人と見られ、死刑も考えられるような事案でしょう。現時点で量刑を考えるのは早すぎる気がしますが、現実だと恐らくこの事件は外国人同士のトラブルで起きてしまった殺人のような気がするので、無期懲役求刑の無期懲役になる気がします。

豊橋車暴走3人死傷事件③ 〜求刑30年に対して懲役20年判決〜

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どうもこんにちは、筑前です。2020年7月に愛知県豊橋市で乗用車で警備員ら3人を殺傷した青野圭被告は懲役30年を求刑されていましたが、まさかの懲役20年判決が下ってしまいました。

 

静岡県掛川市の無職・青野圭被告(28)は、おととし7月、愛知県豊橋市で、時速およそ130キロまで加速した車で、田原市の警備員・夏目喜生さんをはねて殺害し、草刈りをしていた作業員2人に大けがをさせた、殺人と殺人未遂などの罪に問われています。

青野被告は、逮捕時に「神になりたかった」と供述していましたが、裁判では殺意を否認していました。

3日の判決で、名古屋地方裁判所岡崎支部の村瀬賢裕裁判長は、車の暴走を「悪質で危険な行為」と指摘したうえで、「強い殺意はなく、人が死んでも構わないというものだった」と判断し、懲役30年の求刑に対し、懲役20年の判決を言い渡しました。

判決の言い渡しを真っすぐ前を見つめて聞いていた青野被告。

弁護側は「控訴するかは本人と相談して決める」とコメントしています。

 

青野被告は被告人質問で「(中央分離帯に)突っ込めという指示が聞こえた」と述べ、さらに弁護人から「スピリチュアルな動画を見ていた」と指摘され、「2020年に入って毎日1時間ほど見るようになり、何が起こるか楽しみな気分になった」と説明。犯行との関係は「多少はある」と述べていました。そして「直感に従うといい」というスピリチュアル系の啓発動画を見て、犯行を決意したようです。しかしあまりに常軌を逸していて、全く理解ができない動機であり、本当にこんな理由で無差別殺人をするのかという疑問があります。青野被告は裁判では殺意を否認しており、そして青野被告には双極性障害があり、弁護側も双極性障害の影響でで人の姿を認識していなかった可能性があると主張していました。今回の判決は殺意は認定したようですが、強い殺意は無く、人が死んでも構わないというものだったとしてなんと検察側の求刑30年に対して懲役20年が下されてしまいました。これはあまりに酷すぎる判決で、そもそも検察側の30年という求刑自体も短いと思っていましたが、さらに判決では10年も短くなるなんて思ってもいませんでした。強い殺意が無いので懲役10年も減刑したという判例は聞いた事はないですし、もはや判例違反の領域です。また、青野被告は事件当時130キロまで乗用車を加速し、被害者らを撥ねて殺傷しました。ブレーキ痕が無いですし、逮捕直後の取り調べでは「人を殺した」と供述しており、強い殺意があると感じます。私はこの判決を見た時、あまりに衝撃的すぎて頭を抱えてしまいました。それぐらい酷い判決で、本当に遺憾です。高裁でもしかしたら事実誤認があるとして地裁差し戻しになる可能性すら有り得ます。