筑前日誌

この世で起きた事件について語ります

神戸連続児童殺傷事件① 〜犯人・東慎一郎の生い立ち〜

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どうもこんにちは、筑前です。私は様々なジャンルの事件を調べていますが、主に少年犯罪などを調べております。しかし少年犯罪を取り上げていてこの事件を取り上げないでどうするんだと思ったので取り上げます。

神戸連続児童殺傷事件とは1997年に発生し、小学生5人が相次いで殺傷された事件てす。被害者の生首が学校の正門に置かれ、被害者の生首が犯人の手紙を咥えているという猟奇性や、快楽殺人という動機、当時14歳だった少年が犯人だったという事で世間に衝撃を与えました。そしてその犯人の手紙には以下の内容が書かれていました。

 

さあゲームの始まりです
愚鈍な警察諸君
ボクを止めてみたまえ
ボクは殺しが愉快でたまらない
人の死が見たくて見たくてしょうがない
汚い野菜共には死の制裁を
積年の大怨に流血の裁きを

SHOOLL KILL
学校殺死の酒鬼薔薇

 

そう、この手紙を書いたのが酒鬼薔薇聖斗こと当時14歳だった東慎一郎です。軽く事件概要を紹介した所で今回は詳しい事件概要を紹介するのではなく、彼の生い立ちを紹介しようと思います。

(以下 A=東)

 

Aの両親の言い分では「しつけは厳しくなかった」


Aの家庭は一見、平凡な家庭であり、ご両親はAをきちんとしつけ、愛情を注いだと思っているようです。

「死んでお詫びする勇気もない自分たちをお許し下さい」と手記に書かれていますが、行間からは「もし死を選ぶとしても、Aと自分たちが(許されなくとも)直接遺族に謝ってからにしよう、下の二人の息子たちを育てたあとにしよう」と考えているように推察できました。

Aの家庭は一見、平凡などこにでもある家庭に思えます。父親は、「うちは金持ちやないけど、貧乏でもない。ほんま、平凡やなあ」が口癖の、無口で子煩悩な人です。Aとの会話はスムーズではありませんが、思春期はそんなものだろうと受け止め、節目節目には息子にキチンと助言や話しかけをし、育児のすべてを妻に丸投げした人ではありません。

母親は最初の男の子にあたるAの誕生を親戚ともども大喜びし、離乳食もすべて手製で、丁寧に子育てをしました。ただとても几帳面な性格で、物事の白黒をはっきりさせないと気が済まないタイプです。幼児期より食後の食器の下げ方や敬語の使い方など、早期からかなり厳格に教育した人でした。

4年で3人の息子を授かった彼女は、3男に手が掛かり、上の二人が騒いだり兄弟喧嘩になると、“パニックを起こした”といいますが、それでも上二人に体罰を加えるというよりは、「お尻をパーンを叩いてたしなめた記憶があります」という程度です。

 

これを聞くと生い立ちはそこまで悪くないじゃん。と思うでしょう。しかし東の言い分は違いました。

 

両親と食い違う「A」の言い分

 

一方でAの精神鑑定やその他の調査結果によりますと、長男であるAと両親の認識は隔たりがあります。母親は彼が1才になり次男が誕生した頃から、彼を突き放すようにして育てました。さらに三男が生まれてからは、睡眠不足もあって母親は「いつもいらついて」いました。特にAには躾けに口やかましく、厳しく育てました。

Aは物心ついたときから、母親は甘えさせてくれる存在ではありませんでした。Aの欲求不満のはけ口は最初弟に向かったようです。兄弟喧嘩が始まると、弟がどんなに泣いてもAは手加減せず暴力を止めなかったそうです。母親は相当Aに体罰を加えたといいます。Aは母親を恐れるようになっていました。

同居する祖母と母親は、「Aに厳しすぎる」「子どもの育児に口出しするな」というケンカを、よくしました。本来子どもの安全基地は母親か両親のはずですが、Aにとっては、祖母が「安全基地」でした。「祖母の背中が唯一の温かみを感じる場所」で、その祖母の死がナメクジから蛙、ネコ、人を殺める切っ掛けになったのです。

Aは幼児期より母親をひたすら恐れ、成長するにつれて平気で母親にウソをつくようになりました。14才で事件を起こしたときも、両親との面会を拒否し続け、やっと面会しても母親に、「ブタ野郎!カエレッ」と罵しりました。母親はAにとって、安心を与えてくれる「安全基地」ではありませんでした。

どのような家庭環境でも凶悪な少年犯罪が起こりうるものですが、共通するのは親の想いや傍から見た家庭環境と、子供の育ち方に大きな隔たりがあることです。

 

まず、弟がどれだけ泣いても東が暴力を止める事は無かったという所ですが、完全に母親の育て方のせいだと思います。子供を突き放すような育て方をしたら、ろくな事にならないというのは分からないのでしょうか?実際、発達障害を持っている子供は虐待などを受けている場合は犯罪を起こす可能性が高くなるというデータがあったはずです。そんな育て方をしたせいで東は孤独になり、ストレス発散として弟に暴力を振るうようになったんでしょう。さらに母親は東に体罰を加えていて、東は母親を恐れるようになりました。東にとっては祖母が唯一無二の心を開ける人物でした。祖母は東の母親に「東に厳しすぎる」と言っていた模様です。そして彼にとっての唯一無二の救いだった祖母も亡くなってしまい、動物を殺すきっかけとなったと書かれていましたが、本当にそうなのかは疑問です。個人的には基本的に彼のような''人を殺してみたい''という殺人衝動は生まれつきのような気がしてしまうのですが。そして本事件を起こした時もしばらく両親との面会も拒否し続け、ようやく面会すると、母親に「ブタ野郎!帰れ」と罵りましたが、これは東の14年分の怒りの言葉だと思います。幼少期からずっと邪魔者のように扱われ、甘える事も出来なかったなら、こんな事を言っても仕方ないと思ってしまいます。そして母親は上記の通りにしっかりと子育てをした旨の主張していますが、おそらく東の言っていることが正しいんだと思います。東のやった事は己の殺人衝動の為に2人を殺害し、1人に重傷を負わせた凶悪事件で、成人していたら間違いなく死刑になるような事案でした。擁護は不可能ですが、彼の生い立ちだけには同情してしまいます。おそらく東は生まれつき脳の作りがおかしく、殺人衝動というのは生まれた頃からあったんでしょうが、こんな育て方をされたせいでそれが余計に悪化してしまったんだと思います。